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整理技術研究グループ勉強会記録(2006年度)

「セマンティックWebと資料組織法(続)」第6回


日時:
2006年6月20日(火) 19:00〜
会場:
日図研事務所104号室
発表者 :
吉田暁史氏(大手前大学)
テキスト:
溝口理一郎『オントロジー工学』オーム社, 2005.1 の7.1,7.2の各章
出席者:
渡邊(帝塚山学院大学)、有信、守屋(近畿大学)、横山、蔭山、松井(大阪芸術大学)、吉田(大手前大学)、河手(大阪樟蔭女子大学図書館)

定義

7.1 インスタンス自体に関する考察

「クラスの階層があって、それより下のクラスを考える必要がないところd階層は止まり、その最下位に属する例が複数あればそれをインスタンスとみなすことになり、一つしかなければ実はそれ自身がインスタンスである」
 ★インスタンスの捉え方がかなり恣意的である印象を受ける。
(1) 『「種」としての人間、犬、などがあり、これらはインスタンスであり、・・・』
   →何のインスタンスか?動物あるいは哺乳類のインスタンスであろう。
     しかし、哺乳類は動物のインスタンスである、とは言わない。
     生物分類学上は、一応「種」が分類の最下位という了解があるからであろう。
     黒人種や白人種は「人間という種」の下位区分であるとは通常みなさない。
     こういう前提があって、「種」がいきどまりとみなされている。
      ★インスタンスというものはそれより下位の区分を考えないとしたときに決まるのではないか。
(2)イベント
   「昼食をとる」というイベントに対し、レストランや料理がなぜインスタンスになりえそうなのか?
   レストランがインスタンスとなるなら、コップや皿さえインスタンスになりそうだ。
   "インスタンスである"ということは、「スープを飲む」「パンを食べる」などのミニイベントそれぞれが「昼食をとる」と行為の範囲として等価でなければならない。
   ミニイベントは、昼食に対してのインスタンスではなく、全体−部分関係における粒度の問題。
(3)人間−男・女
   なぜ男女という下位クラスを設けたらいけないのか?
   下位クラスは、上位クラスより属性が増える、ということではないのか。
   属性を増やして下位クラスをつくるのはごく当然と思われる。
(5) 動物−人間(クラス間のis-a関係)
   動物や人間をすべて「クラス項目名」というクラス(概念)のインスタンスとみなすこともできる。

人間を(動物の)最下位クラスとするか、男女を最下位クラスとするかという問題と、どのレベルをインスタンスとみなすかという問題(インスタンス設定の抽象レベルの議論)とは、別問題だと思われる。
下位クラスは観念的にはいくらでも設定できると思われる。
どこを最下位クラスと認定するか、という問いは無意味に思われる。

通常は「クラス」概念とみなされるものをインスタンスとして概念化することの是非
 ↑
 概念化したら「インスタンス」とは言えなくなるのではないか。

『インスタンスとはクラス・インスタンスの抽象階層において最下位の層に存在するものであって、それより下位のものを
認定し得ないもの』
最下位のクラスをインスタンスとみなすことにするとそのクラスと一つ上のクラスとの関係は、instance-ofに変化しなけ
ればならない。
 ↑
 クラスと別にインスタンスを設定する意味がない。
 いったいインスタンスの定義は何なのか?

個物もクラス(概念)mp存在の様式は異なるにせよ、概念として「存在」することは間違いない。
個物がなぜ「概念」なのか?
 ★「インスタンス」とは何か?

7.2 もう一つのインスタンス問題:表現のオントロジー

「表現」とは要するに、著作、あるいは著作物に読み替えることができると思われる。

WWWのURLでアクセスできる情報はすべて例外なく「表現」である。
  「表現」を実物そのものではく、実物の代替物の意味で使っている。
 通常のオントロジーが対象とする、車・人間・机・歩行・旅行などの実世界の実体は存在していない。

[A]手続きのインスタンスはその実行行為である。
  楽曲のインスタンスはその一つの演奏である。

[B]手続きのインスタンスはその記述そのものである。
  楽曲のインスタンスはその楽譜である。

【立場1】
 手続きとは特定の手続きのことであり、特定の手続きがさらにその実行というインスタンスを持つ、という立場。
 Aを支持しBを否定する。
【立場1の反論】
 机のインスタンスは個々の机。「机」というクラスの定義には、机の仕様が記されていると見ることができる。
 その仕様(定義)の実現である個々の机がインスタンスであると認めているではないか。
 「ある楽譜」が規定する「ある楽曲」に対する特定の演奏はその楽曲のインスタンスである、ということになる。
【立場2】
 特定の手続きや楽曲は、それ自体がインスタンスであり、その実行や演奏がさらにインスタンスになる、ということはあ
りえない。
 Bを支持。
  この場合、Bにおける手続きとは手続きという概念を指すということか。
【立場3】
 特定の手続きや楽曲が、さらにインスタンスを持つことはありえない。
 しかし、手続き記述が手続きのインスタンスにはならない。
 かといって、手続きの実行が手続きのインスタンスになるというわけではない。
 手続き記述は、手続きの仕様であり、その実行はその実現である。
 手続き−実行もクラス−インスタンス関係にはならない。
 特定の演奏は「演奏」のいんすたんすであり、特定の楽譜は「楽譜」のインスタンスである。
  特定の手続き実行は、「手続き」(概念)のインスタンスである?←どうもそうではないようだ。
   「ホアのクイックソート」は「手続き」のインスタンスだが、具体的な手続き記述は「手続き」のインスタンスではないと
いうことか?


A.手続き(計画) B.楽曲 C.戯曲 D.文字|E.小説 F.詩||G.書(書道) H.絵画||

A〜F・・・表現自体(シニフィアン)と表現内容(シニフィエ)とが明確に分離
A〜D・・・設計(仕様)と実行(実現、演奏、上演)とに分けられる
E〜H・・・設計(仕様)と実現とが一体
E・F・・・表現形式ではなく表現内容が重点
G・H・・・表現形式と表現内容が区別できない

作曲家が作った曲は「仕様」。
演奏家が具現化した曲の音系列は「製造物」。
 ↓
ある特定の日時に演奏された曲・・・「音系列」のインスタンスであって、曲のインスタンスではない。
特定の演奏・・・演奏行為のインスタンスであり、楽曲の「実現」である。
動作としての演奏行為と、その結果生成される音系列とは区別されるべきである。

「(特定の)楽曲の手続きのインスタンスとは何か?」
1.絵画や書
  絵画、書それ自体がインスタンス
2.手続きや楽曲のように設計と実現行為とが分離できるもの
  「手続き記述」を実行したアクションではなく、「仕様」としてのアクション。
  「手続き」や「楽曲」は、楽譜や手続き記述のインスタンスが意味する内容として存在する。
  "クイックソート"や"運命"は、実行行為ではなく実体を持たない「仕様」という形で存在することになる。
    → 「仕様」であるために実体がなくても「インスタンス」となりえる。
   "運命"という楽曲に対するインスタンスは、「楽譜クラスのインスタンス」と「音系列のインスタンス」の2種類が考えられるが、実際にはそのどちらでもなく、「仕様」という形で存在する。

1)「(観察されたある特定の)行為」と「行為という概念」との関係→クラス・インスタンス関係
2「手続き」と「実行行為そのもの」の関係→クラス・インスタンス関係とみなせる
  一つの手続きには多くのインスタンスがありうる
  「卒業式」のインスタンス・・・(A)特定の卒業式そのもの
                   (B)特定の卒業式について書き記したもの
          どちらかという問いかけか。

表現の概念構造
-表現
 p/o "形態":表現形態
 p/o "内容":プロポジション
  この場合の「表現」は、表現物のことか?

表現物
 表現
   形態
   内容
 表現媒体

整研発表(2004年12月月例研究会)では
資料(表現物)
 形態
  論理的な形態(表現形態):活字の形式などの論理的容器
  物理的な形態(表現媒体):物理的容器
 内容
としてきた。
「表現物」とは、おおむね「著作物」と考えてよいのか。

製造プロポジションのサブクラスに「文字」がある。
 「文字」とは、手続きや楽曲・戯曲と並ぶ概念か?
 クイックソートの形態として、C言語プログラミングは妥当か。 文字は数字の記号ではないか。

(図7.2)
源氏物語は、小説(内容)と文章表現(表現)の下位に現れる
 「源氏物語の文章」・・・内容と自然言語に分かれる(part-of)
  内容と表現が並立しているのはおかしいのではないか。
  この場合の表現とは「形態」のことではないか。
「あ」という文字表現
 文字列ではなく、文字そのものが表現か。