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情報組織化研究グループ月例研究会報告(2021.09)

「毛利宮彦「簡明十進分類法」を読む:NDCのライバルになれなかった十進分類法」

藤倉恵一氏(文教大学越谷図書館)


日時:
2021年9月18日(土)14:30〜16:15
会場:
(Zoomミーティング)
発表者:
藤倉恵一氏(文教大学越谷図書館)
テーマ:
「毛利宮彦「簡明十進分類法」を読む:NDCのライバルになれなかった十進分類法」
出席者:
荒木のりこ(大阪大学)、伊藤民雄(実践女子大学図書館)、今野創祐(京都大学)、久保誠(国際基督教大学図書館)、小林康隆、阪口泰子(名古屋市南陽図書館)、佐藤久美子(国立国会図書館)、田窪直規(近畿大学)、徳原靖浩(東京大学附属図書館U-PARL)、中井万知子(立正大学)、長坂和茂(京都大学桂図書館)、中道弘和(堺市立図書館)、中村健(大阪市立大学)、Nobu Kawaguchi(ブリティッシュコロンビア大学)、福田一史(大阪国際工科専門職大学)、前川敦子(富山大学附属図書館)、水谷長志(跡見学園女子大学)、光富健一(情報科学技術協会)、三輪忠義(東京大学附属図書館)、村上篤太郎(東京農業大学)、渡邊隆弘(帝塚山学院大学)、和中幹雄、他6名、藤倉<29名>

1.はじめに

 まず初めに発表者の自己紹介と最近の研究の紹介があった。本発表の構成が示され、本発表においては「簡明十進分類法」は便宜的に「簡明法」と略すこと、「簡明十進分類法」「簡明十進分類表」の両方の表記が用いられていたが、原則として「分類法」で統一することが示された。また、本研究の背景・経緯や各版の差異検証過程についても説明があった。

2.毛利宮彦について

 毛利宮彦(1887-1957)の生涯について概略が説明された。毛利宮彦と日本十進分類法(NDC)との関わりについて説明があり、毛利がNDCおよびその支援者に常に批判的立場をとっており、1948年、GHQ図書館政策関係者や文部省関係者に、NDC採用に反対するようロビー活動をしていたと思われることが示された。毛利宮彦に関するトリビアとして、初代国立国会図書館長・金森徳次郎(1886-1959)と愛知一中で同窓だったことなどが示された。発表者から見た毛利像が提示され、鈴木賢祐・加藤宗厚・NDCに対して執拗な批判をしたこと、正論による批判に目を向けない傾向があったことなどが挙げられた。

3.簡明十進分類法(表)について

 簡明十進分類法の概要だが、1929年8月に発表された「圖書分類法の一つの私案」、1936年6月に発表された『圖書の整理と運用の研究』、1940年12月に発表された改訂増補『簡明十進分類表並索引』2600年版の3バージョンがある。以下、本発表では便宜的にこれらを順に「私案」「別冊版」「改訂版」と表記する。なお、分類表の検討は原則として別冊版を基準とする。別冊版綱目表を見ると、主類は10区分ではなく18個であり、十進階層ではないこと等がわかる。別冊版細目表を見ると、記号は3桁のみであること等がわかる。別冊版索引を見ると1143語あり、「相関」とは題されていない。
 以下、簡明法の概略および体系・クラスの順序について説明する。毛利の表現では3つのポイントとして、「日本文化の特殊性」「現在の図書館の実情」「整理及び利用上の利便」がある。目録上の(詳細な)分類ではなく10万冊程度の書架分類を目標としており、DDCを基本にした単純な列挙型分類表となっている。主類の数は18であり、主類の下は主題形式で細分されており、別冊版(1936)における主類は以下の通りである(私案から順序変更がある)。
主類
 階層構造については、十進記号の桁数と概念の上下関係は必ずしも一致しない。主類の数が10(9+総記)ではなく、初期DDCやNDC同様、インデントで階層を示すことがある。文献数をもとにしているため精粗に偏りがあり、以下は一例である。
例
 助記性について述べる。まずは主題形式について。18の主類(総記)に共通した番号として設定されており、別表ではなく細目表中に列挙されていて、個別主題には適用できない。一例として、世界文学史は「802」となるが、日本文学史は810であり細分できない(表に列挙されていない)。主題形式を表す記号のうち1〜9が用意されており、全体的には共通しているが「3」と「9」にはその主題に応じた独自の項目名を設定している。次に地理的区分について。8箇所の主題に(部分的に)共通した番号として設定しているが主題によって4/8だけのように取り出して用いるところもある。別表ではなく細目表中に列挙されており、個別主題には適用できない。一例として以下の通り。
例
 ただし「其他」には別表も用意されている。「日本/東洋/西洋」や「日本/外国」という粗い地理区分も散見し、必ずしも「1が日本」というわけではなく、助記性が徹底されていない。最後に時代別区分(日本)について。日本の時代別区分も別表があるが、項目名の表記や項目ごとの時代区分が徹底しきれていない。同一名辞が並び対象範囲の理解が難しい場合もあり、一例として以下がある(912と913が細目表の名辞では区別がわからない;915から917が用意された時代別区分と異なる)。
例
 次に、各版の概要を見ていく。まずは私案について。雑誌記事として発表された全10ページのものであった。はしがき、分類表(全979項目。索引なし)、解説という構成であり当時の図書館雑誌のフォーマットとしては異例の分量の多さであった。誤植が多く、「875」は重複していたが、別冊版で修正された。
 続いて別冊版について。『圖書の整理と運用の研究』の別冊附録として刊行され、37ページに奥付・広告という構成である。標題は「簡明十進分類法」だが奥付では「簡明十進分類表」となっている。より細かな構成としては、緒言、分類表(主題表、綱目表、細目表全985項目)、児童図書分類表(解説、幼年図書分類表、少年図書分類表)、索引となっている。インデントによる上下関係の表示があり、私案から406項目が追加・削除または移動しており(軽微な文字や用語の変更はこの数に含まない)かなり手が入ったと言える。項目順の入れ替え(綱ごと移動/細目の順/地理的区分の変更)もあり、主類の位置もこれでいくつか変更されている。児童図書分類表は簡明法の体系に準じた抜粋・簡略化がなされたもので、別冊版で新設された。児童向けの分類につき「従来あまり議論されていないだろう」と毛利は指摘しているが、実際には、NDC3版(1935年)で既に「児童用日本十進分類表」が存在し、毛利も3版批判をしている(1935年11月執筆)。また、1933年に仙田正雄も児童用の目録・件名・分類の必要性を提唱している。
 最後に改訂版について。独立した単行書として刊行され、64ページに付表(4枚。外国の分類表のアウトライン)という構成であり、「改訂増補」「二千六百年版」と版表示が追加されている。標題紙は「簡明十進分類表」だが緒言標題は「簡明十進分類法」である。さらに細かく構成を見ると、自序、緒言、分類表(主題表、綱目表、細目表全985項目)、児童図書分類表、索引(1143件)、増補索引(438件)、分類法参考文献、図書分類二論考、海外分類表集覧となっている。別冊版から27項目が追加・削除または移動されており、索引の増補がある(索引そのものを再編したのではなく増補表が追加されている)。図書分類二論考の内容は鈴木賢祐・NDCに対する反論・批判であり、参考文献・附表は、海外分類への関心を喚起するものであり、NDCや鈴木の著作・訳書は意図的に無視しているのではないかとも考えられる。別冊版で明らかだった誤植(綱目表750・760)が直っておらず、なにを意図しての刊行だったのか疑問が残る。

4.簡明十進分類法への評価

 まず鈴木賢祐による私案批評がある。毛利が簡明法で改変したDDCの主題順は「改良」ではなく「根本原則の破壊」であるとし、DDCに倣うことに価値はなく、利用する人の混乱を招くとした。また、乙部案も同様だが、緻密さが足りないとした。蔵書冊数に対して3桁で十分という根拠や将来の増加も見込んでいるかに疑問があるとした。この記事自体はNDCを称揚するものだが、批判内容は公正なものといえる。
 次に星山實による私案批評がある。農業専門図書館の立場から農業分野の批評がおこなわれた。農芸化学がなく蚕業理化学に項目を与えるなど、記号配当の不十分が指摘された。毛利はこれに反論をしていないが、別冊版で農学分野を全面的に改訂している。
 以上を踏まえて簡明十進分類法を評価する。簡明十進分類法は、個人が特定の館を対象とせず考案した一般分類表として一定の規模・水準にあったのは確かである。当時存在した分類法は、実績のある帝国図書館八門分類、八門分類に十進記号を適用した佐野友三郎の山口県図書館分類、単行書として刊行された東京市立図書館の分類、NDC原案およびNDCであったが、どれも相応の利点があったし欠点もあった。それらと比較して、簡明法の欠点は致命的なもの・補正不可避なものではなかったものと思われる。実際、私案から別冊版への改訂規模は相当大きく、毛利も批判を真摯に受けとめていたのではないかとも考えられる。

5.簡明十進分類法の「if」

 ここからは最大限「簡明十進分類法」にありえた可能性を模索してみる(あるいは夢想する)セクションであり、厳密に学術的な歴史研究の手法に基づいたものではない。様々な可能性を考えてみる。
 もしNDCが存在していなかったら。簡明法は『図書館雑誌』に一般分類表として掲載されただろう。綱目表(100区分)ではなく細目表(1000区分)の詳細度で実用可能であり、DDCに体系的根拠をおくため、それほど悪いものではなく、使用を試みる図書館が出ても不思議ではない。そのうえで星山のような批判は出ただろうが、鈴木評が出たかどうかは不明であり、標準分類法論争は起こらなかったかもしれない。数館の使用(試用)実績が出れば、支持組織が結成されたかもしれない。NDC採用館は青年図書館員連盟の会員がいる図書館に拡がったが、それに先んじて日図協の会員館に使用館が登場していったとしたら。
 もしNDCの刊行が遅れていたとしたら。1930年の鈴木評がないか、鈴木評も遅れたため、NDC登場前に簡明法の使用実績ができたかもしれない。鈴木評が出たとしても、鈴木の評は理論的に簡明法を批判したが、鈴木評の背後にはおそらくNDC称揚の意図があったと考えられる。簡明法の使用実績があり実用上の支持者がいれば、NDCのインパクトは史実より薄れた可能性があり、NDC採用館の拡大は史実ほどではなかったかもしれない。
 もし毛利にもう少し受容性があれば。鈴木評での欠点指摘を受け容れていれば。DC改編による体系の問題について考えると、理論的背景はDCにあるからこれは根幹的問題ではない。改訂で「日本にあわせた改編」を推進するか否かが焦点となる。詳細度の問題について。細分化を容れるか否か。簡明法が3桁にこだわらず詳細に拡張改訂すればNDCのアドバンテージは消滅していただろう。索引の有無について。発表媒体が雑誌だったから省略したと弁明した上で、実際に別冊版で実装していたら、NDCのアドバンテージはほぼ消滅していただろう。
 標準分類法論争のありえた可能性として、もし鈴木評を受けて標準分類法論争が発生したとして毛利が先述のように受容性(あるいは寛大さ)をもっていれば。別冊版で十分な細分化・改訂ができた可能性があり、DC根拠の簡明法とEC根拠のNDC分類体系の間で、学問的・思想的イデオロギーの対立になった可能性がある。NDCの登場が遅れ、簡明法に一定数の採用館があれば簡明法使用館とNDC使用館の対立が起きたかもしれない。史実より大きな論争になったかもしれないが、より建設的な議論となったであろう。
 毛利に有力な支援者がいたら。NDC(森清)には連盟と3人の大きな支援者がいた。事業面での支援をした間宮不二雄、理論面での支援をした鈴木賢祐、実用面での支援をした加藤宗厚である。毛利はおそらく孤軍奮闘であった。シンパはいたとしても連盟や日図協のような組織にはならなかった。だが毛利が受容性に富み、採用館を背景にしていたら。実際毛利は金曜会のように有力者とのコネクションは豊富であった。
 これらのifが重なっていたとすれば、簡明十進分類法(から派生した毛利の分類)に一定の採用館が存在し、NDCにも青年図書館員連盟を背景に一定の採用館が存在していたかもしれない。標準分類法論争がどう推移するかにもよるが戦前日本の図書分類法は二大巨頭となっていた可能性もある。支持者に富むNDCは有力なライバルになったかもしれないがCIEと独自交渉できた毛利はDDCに根拠をおく自分の分類を推奨できただろう。NDCの歴史は途絶えていた可能性もあり、あるいは、森・加藤・毛利を中核とした新しい日本の標準が誕生していたかもしれない。
 以下、反証的なまとめをする。私案発表はNDCと同月という「最悪」のタイミングであり、時期が悪かったと言える。また、NDC登場と重なったのは不運だったとしても、その原案(森清「和洋圖書共用十進分類表案」)は1年前に発表されたものであり、これは雑誌記事ながら詳細な分類と索引を用意していた。私案発表は紙幅に制限のある『図書館雑誌』だったとしても、連載として次号に索引を寄せたり、最低限「索引発表の用意がある」と言及しておけば、この点で鈴木評にあるNDCのアドバンテージは消滅していたといったことを考慮すると、国内研究が十分でなかったと言える。鈴木評に対して感情的な「反発」ではなく実際上の「改善」によってNDCと対立する路線をとっていれば、簡明法の採用館が現れても不思議ではなかったことを考慮すると、鈴木評への対応も悪かったと言える。
 以上を踏まえると、時機的な不運だけは致し方ないが、NDCのライバルになり損ねた理由は、簡明法自体の不備ではないと言える。毛利にもう少し周囲を見やる姿勢があれば、毛利がもう少し真摯に鈴木評を受け容れていれば、毛利が多くの支援と信頼を集めることができれば、簡明法はNDCと並びうる可能性を持っていたかもしれず、毛利がNDCの戦後改訂・標準化に重要な役割を果たし得たかもしれないと言える。

 以上の発表を受けて、毛利が勤務していた大阪毎日新聞社での業務と分類法とに関連があるか、当時は日本図書館協会と青年図書館員連盟にどの程度の交流があって分類を見比べ得たのか、結局のところ発表者としてはNDCと簡明法は分類法として五十歩百歩ととらえているのか、毛利が設立した図書館事業研究会の活動はどのようなものであったのか等の質疑があった。

 なお、今回の月例研究会については、Zoomの映像を録画し、開催後一週間に限り、出席を申し込んだものの欠席された方にも、映像を配信した。

(記録文責:今野創祐)